Tokyo Contemporary Art Award

TOP > 受賞者紹介 > 呉 夏枝 > インタビュー

呉 夏枝

撮影:シャ ヒロヤス
録音:横山拳吾

呉 夏枝のプロフィールはこちら

染、織、ほどくという今のスタイル、特にほどくということは、形あるものを崩していくという、服などを作っていく染織の技法と逆のことを行っていると思いますが、そこに至ったのはどのような経緯でしょうか?

京都市立芸術大学で染織を専攻し、自分で染めた糸を使って布を織って、その布で民族衣装を作ったり、韓国の民族衣装のチマ・チョゴリをモチーフに作品を制作していました。
自分で織る布というのは、ほぐし絣という技法です。布をざっくり織ってその上にプリントを施して1回織った布をもう一度機に戻し、緯糸を抜いて再び織るという2回織る工程が入ります。そうすることで、図柄がずれた絣模様の布ができます。

その技法を使いながら民族衣装をモチーフに制作していく中で、自分の中である課題のようなものが浮かび上がってきました。民族衣装は、人の身を包む・着るものとして、衣服としての役割がある一方で、それが社会に出た時に表象性を帯びるというか。もちろんそれを狙って作品のモチーフとしても使ってはいたけれども、やっぱりどうしてもそちらの意味合いの方が前景化して強くなってしまうと思っていました。他にどのようなアプローチがあるかを模索し始めた時に、これまで使っていたほぐし絣という技法をみなおしました。布を織り、プリントして、その時に織り込まれた糸と糸の間をほぐすことで、内側の部分が表面にあらわれる染織技法で、この技法だと仕上がった布は、プリントしている部分とされていない部分、どちらも布の表面にあらわれてきます。これは構造的にすごく興味深いなと思って。
織り込まれなかった部分をあらわすことができると考え、その技法を使い、そこから布を解き、素材を解いてほぐして、その素材でもう一度糸を作って、それで作品を作るということを始めるようになりました。織ることもするし、それを自分で解体というかほぐすこともします。
それが記憶を、一旦形になったものを解いていくという行為とか、例えば織り込まれなかったものを解いてみる、そこにあるものを想像してみるというようなことを考えて、いまの技法に至りました。

サイアノタイプを使用することも特徴的だと思いますが、どのような経緯で用いるようになったのでしょうか?

サイアノタイプは、家庭にあるドイリーという編み物の敷物を持ってきてもらい、それを使ったワークショップを開催したのがきっかけです。持ってきてもらったものなのでそれをそのまま持って帰ってもらいたいけれど、記録としても残したいと思い、その編み物を布に転写する方法を探していくうちにたどり着きました。サイアノタイプはブループリントや青写真ともいい、フィルムを紙に転写する写真の技法ですが、溶剤を施した布にも使うことができるということがわかり、そのワークショップからサイアノタイプの技法を使い始めました。布に溶剤を施して乾かし、その上に編み物を置いて日光に照らすと日光と溶剤の部分が反応するんですね。
置いた編み物を外して水で洗うと、反応した部分は青く残り、編み物が置かれていて日光に当たらなかった部分は溶剤が水で溶け出すので、そこに模様が残るという。今はサイアノタイプの技法をアーカイブ写真をもとにした制作でも使っています。

主な活動のフィールドやこれまでのキャリアについて教えてください。

主に美術館やギャラリーでインスタレーションの作品を展示するということがベースになってます。2008年から2009年にカナダのトロントに1年滞在したことがあり、トロントのテキスタイルミュージアムで、インターンとして、博物館にコレクションされている絣の模様の民族衣装や布をリサーチする機会をいただいたんですね。いろんな地域で、同じ技法のいろいろな模様やパターン、技法の伝播の様子を見ることができ、それをきっかけにさまざまな布の技法や背景についてリサーチすることに興味を持ち始めました。
その次に国際芸術センター青森で青森市の教育委員会が収蔵しているこぎん刺しの着物をリサーチする機会をもらい、自分の作品と共に展示するという展覧会を経験して、ひとつの染織品をとおして地域や、例えば今作られなくなった理由などを知っていくことが自分にとって興味深いし、制作の糧になっていくなと思いました。
染織品をとおして、興味があることをリサーチしていくということを機会があるごとに持つようにしていて、アンデスの染織品もそのひとつでした。
あとはワークショップですね。大阪の西成にあるブレーカープロジェクトに声をかけてもらい、地域で2年間、編み物を解くというワークショップをやりました。あとは水戸芸術館で朗読会というワークショップをやって、私の中で、ワークショップは作品のインスタレーションと並行している関係で、両方ともが同じ役割を担っています。プロセスを経験していくことで、鑑賞者や参加者の人たちのイマジネーションが広がるきっかけになったり、その人たちが自分の記憶を辿っていくきっかけになったりするものとして、並行してやっているという感じです。そのワークショップの過程で生まれたものをインスタレーションの中に取り込んで作品を作ったり、アーカイブのリサーチをもとにして制作をしたりしています。

TCAAの最終選考と授賞式・シンポジウムの時に、選考委員からのコメントで印象に残ったものはありますか?

シンポジウムでは、選考委員のひとりが私に、例えば祖母の記憶を巡る作品を作ったり、Grand-mother Island Projectとして制作を続けたり、先行世代の人たちの記憶にまつわることをテーマにしたりすることが同時代性を含むというようなことを言われて、自分もハッとしました。私はそれに興味があって、同じ時間軸で捉えているところがあるというのは、私としても発見で、そういう言葉をもらえたことが良かったです。
あとは自分の制作でずっと考えてきたこととして、普遍性と当事者性があるんですけど、選考委員の方たちもそれに関して議論があったという話を聞けたことなどは、それについて自分も悩んで制作していて、あらためて、重要なことだと思いました。

このインタビューの収録時点で(2024年7月)TCAA支援での海外活動として日本に来られていますが、今回の滞在での発見などありましたか。

今回機会をもらって、大阪の生野区にできた、大阪コリアタウン歴史資料館という場所に行きました。子供の頃から通ってきた場所にそういうものができたんだということも気になっていたし、その近所にはコリアNGOセンターというNGOがあって、日韓関係のことや、若い人たちに対しての活動などをされているんですけど、活動にまつわる話を聞くことができて、2025年3月に予定している済州島でのリサーチのきっかけになったのではと思っています。
あとは、在日の方が私財をつかって集めた朝鮮半島と日本に関係する資料のコレクションが神戸市の図書館に寄贈されて、図書館の一室が青丘文庫として自由に閲覧できるようになっているんです。そこには、韓国語や日本語のもの、結構古い資料もあったり、韓国で出版されている学術関係の冊子や、日本でも在日のグループのコミュニティにいないと手に入りづらいような資料もありました。今回、神戸に何日か滞在してそこに通うことができました。自分が関心のあることに対してまとまった書籍があって、気になった本を手に取って中身を見る、そういう時間を持てたことが次回の作品だけじゃなくて、今後長く取り組んでいくきっかけになるような時間を過ごせたなと思います。
ほかには、対馬で海女たちが漁をして住んでいた港の風景をずっと見たいなと思っていたので、対馬にも数日滞在しました。資料で読んだり、写真で見たりはしてたんですけど、その場に身を置いて、どういう風景を彼女たちが見ていたかというのも見たかったので、車でそういう場所を点々と回りました。その時偶然、ずっと会いたいと思っていた作家さんに出会ったんです。そして彼女が対馬博物館の学芸員さんを紹介してくださって、済州島の海女さんに興味があると言ったら、「済州島に海女博物館というのがあるから、こういう人を訪ねたらいいよ」という情報をくださって、本当に親切でした。
今度済州島に行く時には、それをきっかけにまた広がればいいなという感じですね。

現在取り組まれている、Grand-mother Island Projectの概要を教えてください。

Grand-mother Island Projectは、オーストラリア、日本、韓国の太平洋を中心に海路を通じてつながる個人の記憶をたどりながら、それをきっかけに制作を続けているものです。
このプロジェクトを始めたきっかけというのは、いつも作品を作る時には、自分がいる場所を基準に制作を進めたいと思っているので、私がオーストラリアに移住したことで、その場所をオーストラリア、韓国、日本というふうに設定しました。今までの制作を振り返って、表現方法や使う素材は違っても自分の関心事がつながっているというのがあったので、それをある程度まとめて見せた時に、どのように見えてくるんだろうと思って、全体的な構想をはっきりとは決めずに、Grand-mother Island Projectと題して制作を始めました。
何章までかは決めていないのですが、イメージとしては島があって、島を遠くから見て、島にどんどん近づいていく。その島にはいろんな個人の物語があって、島はひとつの島とも言えるかもしれないし、いろんな島が集まった群島のようなものかもしれない。そういうものをイメージしてプロジェクトを進めて、これまでに4章まで制作しています。
第1章は島の影をモチーフにした織物をインスタレーションにしていて、第2章は海と島の間の領域をテーマにした抽象的な作品、第3章はオーストラリアやアメリカ、イギリス、ニュージーランドにも住んでいる日系の戦争花嫁さんについて、彼女たちが交わしたコミュニティレターをもとに制作しました。第4章はこのプロジェクトを始めて、太平洋の島々との関係なくして語ることができないと感じ、でも私はそのことについて少しの知識で、なんとなくぼやっとしたものしか知らないので、太平洋の島々のことをテーマにした制作をしました。

  • 《海図》 2017-2019 撮影:木暮伸也 画像提供:小山市立車屋美術館

  • 《Floating Forest》 2017 撮影:大西正一 画像提供:広島市現代美術館

  • 《彼女の部屋にとどけられたもの》 2019 撮影:根本譲 画像提供:水戸芸術館現代美術センター

  • 《海鳥たちの庭》 2022「六本木クロッシング2022展:往来オーライ!」展示風景(森美術館、東京)
    撮影:木奥惠三 画像提供:森美術館

これから制作し、受賞記念展で発表予定の第5章の現時点での構想を教えていただければと思います。

第5章は、先ほども話した済州島の海女の移動について考えています。1900年前後から済州島の海女たちは日本や中国、ロシアなどいろいろな場所を移動して漁をする場を求めてきたんですね。その生活のスタイルも、ある季節は日本、ある季節は済州島、ある季節は対馬に漁に行くというような移動をしていて、それが現代の現象ともつながっていると思います。女性が他の国に行って単独移住労働者として働く姿とも重なるし、海女の移動の軌跡をリサーチして作品にしたいなと思っていて、それが第5章になるかなと思っています。

それが東京都現代美術館では今までのものとひと繋ぎになるということですね?

まとめて展示をした時にどういうものが浮かび上がるのかというのを見てみたいし、それを見てもらいたいという思いが強くあったので、最初はプランをそういうふうに出したんですけど、梅田さんとのやり取りを含めてその辺はフレキシブルにプランを考えられたらいいなと思っています。