Tokyo Contemporary Art Award

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魔の山考(菩提樹によせて)
風間サチコ

【1】ドイツ渡航中止
新型コロナウイルス感染症は2020年2月下旬になってじわじわと感染が拡まり、欧州ではイタリア北部での大流行を皮切りに、あれよあれよという間にEU諸国に拡大していったのであった。同伴してくれる友人と計画していたドイツでのリサーチ旅行にも暗雲が立ち込め始め、「無理をすればギリギリ行けるのでは?」という楽観的な考えと、「ドイツから戻れなくなったら大変!」という不安とのあいだを行きつ戻りつしていたのだが、判断材料となるドイツのロベルト・コッホ研究所と外務省の発信する情況が悪くなる一方なので、中止することに決めた。……そして運命の3月16日。ミュンヘン空港からのドイツ入国を予定していたまさにその日。メルケル首相の決断でドイツの国境封鎖が開始された。「悩んだところで結局は行けなかったなぁ」と残念に思いつつも、当面は行けないとわかったので心が少し軽くなった。
EU加盟国26カ国がシェンゲン圏を設立し国境を開放してから25年。四半世紀にわたり自由な往来を許してきた欧州連合の歴史が、ウイルスの往来を阻止するため、理念の象徴である開かれた国境を閉じる日を迎えるなんて予想だにしていなかったことだ。「欧州連合の賛歌」としてそのモットーを託したベートーヴェンの交響曲第9番「歓喜の歌」を、再び大勢で集い(飛沫感染を気にせず)大合唱できる日が、そう遠くないことを祈るばかりである。

【2】水瓶座と魔の山
シュルレアリストで詩人のアンドレ・ブルトンは、自分の誕生日〈2月19日〉をわざわざ〈2月18日〉と偽って公言していたのだという。これには「詩的」な意味があるのだ、と本人の弁明が伝わっているが、おそらくは西洋占星術における黄道十二宮の星座の中でもっとも天才的(変人的)気質とされている水瓶座に属することで、己の天才性をアピールしたかったのでは?と私は勘ぐっている。
斯くいう私も、ブルトンと同じく水瓶座と魚座の境界線上の2月19日に生まれて、最近まで自分の星座が魚座だと思っていた。だが前年の秋にインターネットのホロスコープ検索で調べたら、誕生した朝には太陽がまだ水瓶座内に留まっていたので、私は水瓶座だということが判明した。なるほど、ロマンチストで繊細な魚座ではなく、個人主義で変わり者の水瓶座の性格判定のほうがしっくりくる。それからというもの、以前よりも星占いへの信頼度がアップし、占い記事を熱心に見ていたらこのような予言めいた奇妙な記述を発見した!
……《来たる2020年、水瓶座のあなたはトーマス・マンの小説『魔の山』のハンス・カストルプのように、実生活とは離れた場所で未知の人物や知識と遭遇し、不思議な時間の遍歴を始めるでしょう》……
私の未来が、まだ読んだことのない『魔の山』の主人公の遍歴と重なるというのなら……なんだか怖いような気もするが、この予言の書を読まなければならないだろう! 私はさっそくヤフーオークションで岩波文庫版の『魔の山』上下巻を落札し、2020年のお正月から読み始めたのであった。

【3】リモート登山開始
『魔の山』は上巻が598ページ、下巻は690ページ。ドストエフスキーの『悪霊』ですら上巻で挫折してしまった私にとって、さらに長編なこの小説を読破することが容易くないことは、届いた本の分厚さを見ても明々白々だ。2カ月経った3月初旬の段階でもたったの260ページしか読んでおらず、合計1288ページの「魔の山」を富士山の標高に換算すると未だ2合目あたりだろうか。ハンス・カストルプがサナトリウムの人々と打ち解け始め、横臥療法の毛布を体に巻きつける方法をマスターし、初恋の人(ヒッペ少年)と瓜二つのショーシャ夫人にぞっこんになり、微熱が続いて体温計の水銀が下がらない原因は恋なのか? 肺病なのか? とドキドキさせる場面がここでは続く(富士山2合目のドライブウェイの景色のように状況はめくるめく展開をしてゆく。お楽しみはこれからが本番!)。
そして3合目にさしかかったころ、忘れもしない3月25日の夜8時。友人宅で家飲みをしている最中に、小池都知事の緊急記者会見の放送が始まった。「都内での新型コロナ感染者が41人確認されました。これは感染爆発の重大局面と言えます。今後は週末の外出をお控えくださいますよう、都民の皆様に強く要請いたします」という緊迫感あふれる声明で(いま思えばたったの41人だったが)、これは大変!と気分が高揚。翌朝、食料確保に奔走する客で芋洗い状態のスーパーマーケットで私も食料の確保に奔走した。「密を避けましょう」との注意喚起をないがしろにし、密な場所に行ったことを猛反省……。しばらくは外で飲めなくなるがしょうがない、「もうみだりに外出はしまい」と私は心に固く誓った。これからは如何に人との接触を避けるかが感染症予防の要だ! 孤独に対する耐性なら私には人一倍大きな自信がある。外界でのリサーチ旅行が無理ならば一人自室にこもって「魔の山」をリモート登山し、高みにある「深淵」を探りに(脳内で)旅をしよう!

【4】『魔の山』あらすじ
私のように『魔の山』を題名しか知らなかった人も多いと思うので、物語を簡単にまとめてみようと思う。(ネタバレ注意)
舞台は1907年のドイツ。ハンブルク育ちの裕福な孤児ハンス・カストルプは、平凡で特徴のない「単純な一青年」である(と12ページにわたり「単純」な彼の性質が述べられる)。資産家の親族の庇護のもとブルジョワジーらしい体裁を身につけ、なに不自由なく暮らしてきたが、23歳の夏に突然転機が訪れる。船の設計士(見習い)として就職が決まった矢先に体調を崩してしまい、主治医の勧めでスイスの山岳地帯・ダヴォスにある国際サナトリウムで短期間だけ療養することになった。結核にかかり軍隊生活を退いた従兄ヨーアヒムの見舞いを兼ねたこの静養は3週間の予定だったが、結果的になんと7年間にも及ぶ長い滞在となったのだ!
アルプス山脈に囲まれた異世界〈ベルクホーフ〉でのハンスの日常は、ヨーアヒムから施設内での作法を教わりながら楽しく始まった。サナトリム独特の生活様式に驚き、そこに集う国際色豊かな病人たちを観察したり、イタリア人文士セテムブリーニ氏の存在に刺激を受けたり、さらにエキゾチックなロシア人女性(ショーシャ夫人)に一目惚れしたり……と興奮する要素が盛りだくさん! そのせいか謎の微熱が毎日続き、「この症状はもしかして結核?」とおおよその読者が抱いた予感はそのまま的中してしまう。レントゲン写真によって過去の病歴と現在の病巣が発見され、ハンス・カストルプは晴れて正真正銘のサナトリウムのメンバーとして認められることになる。
……無為に流れがちなサナトリウムの時間、死を忘れようと享楽的に振る舞う上流階級の患者たち、そんな中でも矜持を保とうとするセテムブリーニ、彼の啓蒙主義を警戒しながら対話に意義を見出だすハンス・カストルプ。7年に及ぶ長い歳月のあいだには、ヨーアヒムの悲しすぎる死、ショーシャ夫人との泡沫の恋、謎のカリスマの登場、ナフタvsセテムブリーニの執拗な論戦、その果ての決闘騒ぎ……など様々な出来事が繰り広げられ、療養の身でありながらも青春の季節を過ごしたハンス・カストルプだった。しかし長すぎたモラトリアム生活は彼から活気を奪っていく。そして、そんな虚ろな日々は30歳になったとき、戦争によって突如断ち切られた。慌ただしくサナトリウムを発ち戦場に送られた主人公は、泥濘にまみれながら読者の前から姿を消し、物語はあっけなく終わってしまう……。
以上が1288ページにわたる物語の梗概である。大雑把な要約なので深い内容まではお伝えしきれず、実際にこの名作を読まれることをお勧めしたいが、とても長いので無理にはお勧めしない。

【5】教養小説と煉獄山
文庫版下巻の表紙カバーには「人間存在のあり方を追求した一大教養小説」という解説が書かれている。「教養小説」とは初めて目にする言葉だが、おそらくこれを手にする読者には予備知識すなわち教養が求められ、さらに実際に小説を読み進めて未知の言葉に出会うたび、巻末に(上下巻合計で)277もある訳注を確認したり、スマホで調べてみたりすることで自然と教養が身につく……。教養小説とはそのようなメリットのある読み物にちがいない。ハンス・カストルプ青年は人文主義者のイタリア人セテムブリーニ氏と出会い、知識と教養と頭の回転が試される文学者との高度な対話の中で、知らない恥と知る喜びを幾度となく味わうことになる。会話の内容についていけないことに焦りを感じたり、一人になってから話したことを再び検証したりする。その連続にはハンス及び読者の知性の成長を促進させる効果がありそうだ。
この教養小説の中核を担うセテムブリーニ氏が青二才のハンスに見せる先生っぽい態度について、私は「セテムブリーニさんはダンテの『神曲』に登場する詩人ウェルギリウスを意識しているのかな?」と睨んでいたのだが、物語の後半でハンス・カストルプをダンテ青年と見做して、ダンテを善き方向へと導く先達ウェルギリウスをセテムブリーニ自身が意識して立ち回る場面があった。私は「やっぱり」と膝を打ち、自分もまんざら無教養でもないと安心した(といっても、たまたま『神曲』を知っていただけ)……標高5千フィートもある峻岳を登ってきた青年に「ようこそ深淵へ!」と逆説的な挨拶をした辺獄の紳士セテムブリーニ。造形的かつ優美なアクセントでドイツ語を操るこの先生が垣間見せる、西欧中心主義的な視野の狭さや音楽への偏見などに、ハンスは時おり心の中で反発し悪態をつく。それはキリスト教を信仰し天国に行く資格を持つダンテが、古代ローマ人(異教徒)がゆえに辺獄に留まらざるをえない気の毒なウェルギリウス対して、ちょっとした優越感から見せてしまう小生意気な一面とも重なる。

【6】茫洋とした時間の川面に差す光の竿
顧問官から「故障車よ、車庫へ!」と言い渡されて、立派な結核患者となったハンス・カストルプの3週間にわたる安静生活は始まる。定刻どおりベッドに運ばれてくる「永遠のスープ」と毎日の回診。心優しいヨーアヒムが休憩時間ごとに(一日に10回・各10分)来ては、枕元で外の様子を話してくれる……。「特に何もすることもない」そんな茫洋とした時間が大河の流れのように続き、目印も印象も残さない日々は小説としても書くべき内容も特になく、山上の異界にデビューして好奇に満ちた最初の3週間には301ものページが費やされたのに対し、まったく同じ3週間でありがらベッド上での日々はたったの36ページしか書かれていない。
このようにページ数を見ても「3週間」の質、内容の濃さの違いは明らかで、「何もない」退屈な時間は、その中にいる時は長く感じられるが、出来事という内容物が空のまま過ごすことで、外から見れば中身のないパンを潰したように、ペチャンコに縮小された期間になってしまう。過ごす内容次第で時間は伸び縮みするというわけだ。
これに似た現象は、私もふくめ多くの人がコロナ禍における外出自粛(おこもり生活)で経験したことだと思う。ボ~っとしている時間は長大でも、何もしていないから何も思い出せず、記憶の空白が時間の単位でカウントできなくなる。現実の時間と感覚の時間が嚙み合わないのだ。ハンスの滞在期間が当初3週間と聞いたセテムブリーニが、「私たちは週という単位は知らないのです。私たちの時間の単位は一カ月が最小単位です」と冗談っぽく話したのは、そのことを示唆していたのだろう。
そして安静期間の半ば、薄暗い病人の部屋にセテムブリーニが見舞いにやって来る。友人が点けた電燈で明るくなった部屋で、ハンスは堰を切ったように自分語りを始め、故郷には「あいつ、まだ遺産を持っているのか?」と噂する下卑た人間が多く、そのような世間と自分は相容れないものがある、孤児である自分は両親と祖父の死に直面し、死の崇高さを知っている、自分にはむしろ世間から隔絶され、死に寄り添うサナトリウムの生活のほうが合っているのかもしれない……といった胸中を語る。すると友人は、人生の残忍性(=世俗との軋轢)をとがめることへの慣れは、本来の生活様式から離脱させます。ここは「人生から離脱する」場所です、と述べ、病気や死は高尚なものではなく、尊ぶべき健康を貶めて社会から安易に逃避するべきではないと諭す。
自己分析を論難され困惑するハンスにセテムブリーニは微笑みながら、今後ともあなたの(思索や議論の)練習と実験にお手伝いをさせてください、と矯正的な影響を与える条件付きで申し出る。「僕にそれだけの……」とモジモジしているハンスに「まったくロハでです。なんぞけちけちせんやです」と冗談で和ませ、今後も議論を続けることを約束する。そして決めゼリフ「エンジニア、あなたは癖者です」を残して部屋を去る……。緊張感あふれる対話がボンヤリとしていた自分を成長させると気づいた瞬間、ハンスの顔にパーっと広がった明るさに、私の心も明るくなった(ハンスの社会復帰を願って「エンジニア」と呼び、単純な青年の個性を「癖者」と尊重してくれるセテムブリーニさんの愛情深さよ!)。

【7】感染症とモラトリアム
孤児とはいえ、ハンス・カストルプはお金持ちの家でなに不自由なく暮らしてきた。ハンスの「ごく単純な青年」という人物像の形成には、彼の境遇をうらやむ人たちや、彼が世話になっている親族への遠慮も一因にあり、自己を主張せずいたって平凡でいることが孤児にとって最善の自衛手段だと、早いうちから悟っていたからだと思う。本当のところ、(世の中のほとんどの人間がそうであるように)彼にもちゃんとした個性や趣味があり、まったく平凡でも純真無垢でもないのだ。そんな表面的な「単純さ」から親族に勧められるがまま、造船エンジニアの道を選んではみたものの、本心では会社員になることに消極的で、サナトリウム行きの決定は願ってもないモラトリアム期間の獲得だったのである。そのうえ「立派な患者さん」のお墨付きをもらい、心置きなく人生決定までの猶予期間を山上で謳歌することになった……。
私はここまでのくだりを読み、「まるで自分のことみたいだ」と思った。というのも私自身、小学3年生の頃から学校に行くのが嫌になり、「いかに正当な理由で学校を休むか」ということが毎朝の課題だった。休む理由はもっぱら早朝の喘息発作で、教室では「ゼンソクホワイト人」という変なあだ名で呼ばれ、自他共に認める「虚弱児」となった。しかしだんだんと本当に病気なのか詐病なのか曖昧になり、「登校拒否児」の扱いとなってしまった! いよいよ状態が悪化し、遠く離れた健康学園に入所し更生生活をすることが決まったときは、(ハンス・カストルプと同じく)義務をサボタージュする大義を得て、健康不良児だけで過ごす安堵感で晴れ晴れとした気分になった! ハンス・カストルプは肺結核、私は喘息によって健康的な集団から距離を置くことができたのだ。
新型コロナウイルス感染症の拡大阻止のために要請された「ステイホーム」は、老いも若きも「悩めるモラトリアム青年」になれる絶好の機会だった。自宅待機の孤独な時間にだって価値があると私は思っている。ともするとサナトリウムでの時間のように無為に流れてしまうかもしれないが、やはり内省と熟考には日常から切り離された時間が必要だ。私は四六時中考えごとをしていて、それを不吉な木版画に刻みつけている。健康な精神の持ち主なら逃げ出したくなるような繰り返しの日々だが、年中無休の隠遁生活が続けられるのも、約40年にわたったモラトリアム修行の成果だと思う。

【8】苦悩百科辞典
〈永遠のべんけい縞〉……これはハンスがセテムブリーニ氏につけたあだ名で、年がら年中同じ服装(粗いラシャのダブルジャケット、襟高のシャツ、薄黄色の格子柄=べんけい縞のズボン)を完璧に着こなし続けている姿を(心の中で敬意を払って)そう呼んでいる。いつも同じ格好なのは、今でいうところのミニマリスト志向であることが一番の理由だが、氏の経済的な困窮もその理由のひとつかもしれない。
推定年齢30代後半、イタリアの文士セテムブリーニ氏は〈進歩組成国際聯盟〉という人文主義者の団体に属し、人類の進歩を全世界に啓蒙する活動をしている。だがしかし、氏の病状が悪く移動が制限されているので、バルセロナ本部での定例会にも出席できず、仕方なく国際郵便でのやり取り(リモート業務)をすることで団体の一員としての役割を果たしているのだった。そんな彼が精進している仕事が、苦悩病理学を本にまとめた〈苦悩百科辞典〉の編纂だ。これは全人類が抱えている苦悩を調べ上げ、その具体例を百科辞典風にまとめることで人類の足枷となる苦悩を解消する足がかりを摑み、幸福で進歩的な世界の完成に近づけるという素晴らしい事業なのだという。
〈進歩組成国際聯盟〉〈苦悩百科辞典〉……。これらの名称には「余計なお世話」と言いたくなるようなナンセンスさを感じてしまう。どこかの国の飢餓を辞典に記しただけで誰かのお腹が満たされるような魔法なら良いが、問題を認知しただけで満足してしまうのではないか? 人道的なこれらの事業が「社会的手段による人類の自己完成」を標榜するセテムブリーニ氏自身の自己完成の手段のように思える。
自身が置かれた苦境の解消もままならないセテムブリーニ氏が「世界人類のため」と大見得を切り、山上のサナトリウムで奮闘する姿は、まるでドン・キホーテのように滑稽でせつないが、ひるがえって私たち美術家の仕事と似てはいないかと考える。社会問題を提起することで何か革命でも起こせるかのようなアートの買いかぶりはどうだろう? アートという不確かで曖昧に見える存在を、世間に不可欠でエッセンシャルなものと認知してもらうための「問題」の陳列なら、それは〈苦悩百科辞典〉と同様のナンセンスな独りよがりとなるであろう(そう、私の作品も!)。

【9】山上の空論
物語の真ん中あたりの第六章で、ロドヴィコ・セテムブリーニのほかにもう一人舌鋒鋭い男が現れる。ショーシャ夫人が異国に旅立ち、セテムブリーニは街の下宿に引っ越し、サナトリウム内の顔ぶれも変化しつつあるなか、突如登場するのがセテムブリーニの論敵レオ・ナフタである。優雅に清貧ルック(永遠のべんけい縞)を着こなし、冗談と皮肉で会話に花を添えるセテムブリーニが「陽」なら、小さい身体にあえて質素に見える高級な衣服をまとった冷たい風貌のナフタは「陰」だ。小さな下宿の二階と三階に住んでいる二人は、はたから見れば犬猿の仲なのだが、何故かいつも一緒にいる……。二人とも並外れた知性の持ち主ゆえに、普通の人間では相手にならず、同等の頭脳を持った者どうし侃侃諤諤の論争を続けることで、互いの孤独を埋めていたのだった。
二人のスリリングな論戦は、思考する楽しさに目覚めたハンスにとって、頭脳を刺激する素晴らしい見物であった。まだ未熟なこの若者をいかに自分の思想に傾倒させるか、かわいい生徒ハンスの前で饒舌な二人の先生の討論は続く……。知識の泉から無尽蔵に湧き出る言葉、それを巧みに使いこなし応戦する両名の姿はハンスを興奮させる。がしかし実は、この知恵の泉の源流には巨大な組織が存在し、セテムブリーニの背後には秘密結社フリーメイソンの、ナフタにはイエズス修道会の後ろ盾があったのだ。
セテムブリーニの理性と叡智による人類の進歩と完成、ナフタの暴力も辞さない革命による神の国の建設という固い信念の出所がわかってしまうと、読者の私もなんだか鼻白んでしまう。双方いずれの「主義」や「神」も、人間が人間の都合のために創造した概念の現れに過ぎず、所詮は山霧に映るブロッケン現象のようなものだ。巨大化した人間自身の影を奉り、その偶像のもとで分断、対立、支配の闘争を延々と続けることに何の意味があろう? 現在も政治は従うもので、宗教は不可侵の聖域にあり、お金は増えるほど素晴らしい存在だが、これらを肯定する「自由」や「権利」のルールは胡散臭い勝者の創ったものではないか?
……その後、饒舌家二人のしつこすぎる論戦はエスカレートし、拳銃での決闘にまで及んでしまう。ハンスらが見守るなか決着の時はおとずれ、セテムブリーニは空に弾を発射し、ナフタは自分の頭に弾を撃ち込んだ!……ウィリアム・ウィルソン*のような影法師ナフタの死によって、セテムブリーニは書き物ができないほど衰弱し、床に伏せってしまう。言論の騎士は実効性に乏しい「山上の空論」と知りつつ言葉の剣を交わし続けた。不毛とも言える闘争の中に、知力をフル回転させる歓びがあったのだろう。

*「ウィリアム・ウィルソン」はE. A.ポオのドッペルゲンガーを題材にした短編小説とその主人公の名前

【10】菩提樹によせて
3年前の冬。私は近所のリサイクルショップで、1枚50円の大特価クラシック音楽CDを17枚まとめて買った。そのうちの1枚にシューベルトの歌曲集『白鳥の歌』があり、これが私と声楽家ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウとの出会いになった。一流のドイツ・リート歌手がうたう本格的な歌曲を聴くのはこれが初めてで、柔和かつ厳格なディースカウのバリトンによって、シューベルト歌曲の素晴らしさを知ることとなり、すっかり虜となった私は彼の代表的なCDを買い揃えた。なかでも「聴く詩集」と呼んでも過言ではない『冬の旅』は、(夏に聴いても)凍てつく冬を追懐できる奥深い作品集で、毎日ヘビロテしても飽きることがない。
『冬の旅』でもっともポピュラーな曲、日本では近藤朔風の訳詞「泉に添いて 茂る菩提樹〜」で親しまれてきた「菩提樹」は、ミュラー原詩の翻訳を嚙みしめながらあらためて傾聴すると、暖かく美しい思い出に縛られ、終わりのない冬をさまよう旅人の姿が浮かんでくる。……『魔の山』でハンスが発した最後の声として「菩提樹」の歌詞が象徴的に使われたことに、私は不思議な巡り合わせを感じた。

第七章 楽音の泉……ハンス・カストルプはサナトリウムの遊戯室に設置された最新型蓄音機と大量のレコード144枚に大喜びする。音楽愛好家でもある彼は蓄音機係を買って出て、レコードの管理や選曲などを率先して行なった。そして客が遊戯室から去ってからがハンスにとっての至福の時間だ……。この場面ではクラシックの名曲がいくつか登場し、ハンスは一曲ごとに作品の描く情景を思い浮かべ、いかに演奏や歌声がそれらを素晴らしく表現しているのかを批評していく。彼自身も慣れ親しんだドイツ国民の愛唱歌「菩提樹の歌」もその中の一曲で、歌い出しの穏やかさから一転、旅人の帽子が一陣の風に吹き飛ばされる場面で曲調が劇的に崩れるということが、彼の未来を予感させるように語られる。そして終盤の「かの樹にわれをたえず」と「ここにこそ憩いあり」の歌声にハンスは思いがけず感動する。日本語の歌詞では続いて「ここに幸あり」のリフレインで終わるのだが、私は「憩い」や「幸」のある安らぎの場は、旅の終焉すなわち「死」を意味するのではないかと、うっとりと憧れるように消え入る歌声を聴きながら想像するのであった。
……そしてサナトリムに入所してから7年目。ハンスは若さも存在感も失くし、惰性で生きているような人間になってしまっていた。そんな彼に突然訪れた社会復帰の機会は、なんと第一次世界大戦勃発による召集だった。どんなかたちであれ山を降りる決断をした「人生の厄介息子」のために、セテムブリーニは弱った体を起こして見送ってくれる。駅のホームから「さようなら、ハンス(Addio, Giovanni mio)!」と、最後の最後に今まで一度も呼ばなかった名前(ハンスのイタリア語読み=ジョバンニ)と「君」とで呼びかけ、最上級の親愛の情をはなむけに、愛するハンスと惜別したのだった。……と、涙を誘う人間的な物語はここまで。雨と砲弾と泥濘にまみれた非情の戦場では、もはや個の識別をすることは困難だ。そのドロドロの群の中、人格すら失くしてしまったかのように、倒れた戦友の手を軍靴で踏みつけながら進むハンスの姿が遠くから確認される。
「われはきざみぬ、かの幹に うまし言葉の数々を―」。ハンスは息絶え絶えに「菩提樹の歌」を口ずさんでいる。「枝は―そよ―ぎぬ、いざ―なうごとく―」。甘い幸せの映像は遠い山霧の夕映えに消え、今は砲弾が切り裂き起こす風が鉄兜をかすめて吹くのみ……。私たちのハンスは、語り部である天空の観察者からも運命からも見放され、荒野で生死をさまよっている! 人生の厄介息子よ、さようなら!!

長い長いお話はこれで終わり。私はあまりにも急で冷淡な結末とハンスの喪失から、心の整理に追われる。……私を『冬の旅』へといざなったフィッシャー=ディースカウは、第二次世界大戦勃発とともに19歳でドイツ軍に召集され、ロシア戦線で訓練を受けたのちイタリア戦線に送られた。そこで連合軍に捕らえられ、米軍キャンプで2年に及ぶ捕虜生活を送ることになる。ディースカウはこの2年間でほぼすべてのシューベルト歌曲をマスターし、同郷の兵士たちを歌でなぐさめたという。
ドイツ軍劣勢の激しい戦闘のなか幸運にも生き残り、70歳ちかくまで現役で歌い続けた強靭な人生は、まさに「天命」を授かった人物ならではの素晴らしい一生だったと言える。運命にも音楽の神にも愛されたフィシャー=ディースカウと、精神的な成長を摑みかけながらも手中に収めきれず、未完成に終わったハンス・カストルプ。第一次世界大戦と第二次世界大戦、虚と実の世界は決して交差することはないけれど、私の心の中では、ひとつの歌でつながった二人の若い兵士が菩提樹のもとに集っている。

【11】物語再生―百年前から百年後の世界に
ハンス・カストルプの7年にわたる遍歴を私は7カ月の読書で追体験し、ハンス青年はコロナ禍で混乱した2020年を一緒に旅する私の友人となった。このお友達は、モラトリアム環境に安住し、興味の対象にはディレッタント的な楽しみとしてしか向き合わず、具体的な行動を起こさないまま、「戦争」という不可抗な時変に巻き込まれ行方不明になってしまったが……。
1924年刊行の『魔の山』は、小説の舞台となった百年前の時代の空気に古典のモチーフを織り交ぜたことで物語の普遍性がいっそう増し、いつの時代にもいそうな生煮え青年のハンスは時を超える存在となった。……山海を越えた土地土地で奇妙な一致を見せる古代神話の数々は、何千年何万年かけても変えられない人間の「業」が根底にあるからこそ、普遍的なつながりの神秘がある。芸術のあらゆる古典的名作は、神話と同様に、時空を超えて感情を呼び覚ます「共通認識」の鍵であり、百年前のリアルタイム『魔の山』は、百年後の今、素晴らしい古典となって共感を呼ぶ。
さて。これから百年後に古典は存在しているだろうか? 昨今の無教養でもOKな風潮や反知性主義などという言葉を知ったら、セテムブリーニさんはさぞおかんむりだろう。私たちは百年後に古典を残すべく、古典たり得る作品を創作する努力をし続けねばなるまい。

【考察の破片etc.】
〈国際サナトリウム〉
国際サナトリウム・ベルクホーフには様々な国籍の患者がいる。風光明媚な保養地ダヴォスの一等地に建てられた療養施設の入所者の多くが富裕層で、その中でも民族や地位によって食堂でのテーブル席が(特に差別というわけでもなく)7つに分けられている。さらに病状によってもヒエラルキーが存在し、軽度の人は新米、中度の人はベテランのように見做されおり、食堂に来られなくなった重度の人は「モリブンドゥス(死に至る人)」扱いである。病室から出られなくなった仲間は、死の現実と向き合えない享楽的なサナトリウム住人から黙殺され、いつの間にか亡くなり、遺体はこっそり処理される(この一連の儀式だけは平等である)。

〈予感・ウイルス〉
顧問官が描いた艶かしいショーシャ夫人の肖像画を見てからというもの、ハンス・カストルプはバルコニーで星空を眺めながら生理学的な物想いに耽ることが習慣になった。人体の不思議、生命の起源、さらには結核菌のような微生物にまで想像は及び、この世界には意思を持つ生物、意思のない微生物、さらに、それらの隙間を埋める膨大な非生物が存在するのでは?という考えに至る。おそらくこれは、その当時発見されて間もないウイルスの存在を示唆しており、第一次世界大戦の時代にパンデミックを引き起こした「スペイン風邪(インフルエンザ)」の猛威を予感させるような場面である。

〈カリスマの登場〉
ある日、ショーシャ夫人が初老のパトロンを連れてサナトリウムに舞い戻ってくる。愛人ペーペルコルン氏は、プランテーション農場を経営する成金で、大きな体にギリシャ悲劇の仮面のような顔をのせた、摑みどころのない男だ。大袈裟な身振りで「結構!」「断然!」「決着!」と断定的なフレーズを連発し、漠然とした話であっても相手をねじ伏せてしまう。氏は食堂で贅を尽くした賭けトランプ大会を主催し、この酒宴の主が見せるディオニュソス的な振る舞いに人々は魅了される……。ハンスもすっかりペーペルコルン氏に夢中になり、「人物」とはこのような人のことなのだ!と感激し、人間性や知性よりも奇怪なオーラに屈服するのだった。……狼の眼をした若きショーシャ夫人と、巨漢の成金ペーペルコン氏の組み合わせは、トランプ夫妻を想い起こさせる。古今東西、強烈な雰囲気と支離滅裂な発言力が「人物=カリスマ」の条件だろうか?

〈ホワイトアウト〉
ハンスは無謀な山スキーの最中、吹雪によるホワイトアウトに陥り、避難した山小屋の軒下でウトウトしながらこんな奇妙な夢を見た。……光に満ちたおだやかな海辺に、素朴で美しい人々が集まり自然神を崇拝しながら暮らしている。その謙虚で慎ましい共同体の姿にハンスは心を打たれ感動する。そしてふと海岸の崖上に目をやるとそこは「血の饗宴」の地獄だった。石の祭壇で醜い老婆が嬰児を八つ裂きにし喰っている!……そして、恐怖で目覚めたハンスは、美と恐怖の対照が鮮烈なこの映像に重要な啓示が潜んでいるのではないかと(極限状態で興奮した脳で)分析した。そして、セテムブリーニとナフタの饒舌に巻かれるのはもうやめよう。理性も宗教も概念の一種に過ぎず、生と死、善と悪、すべての二元的な対立は無意味だ。最後に残るのは愛だ!といった結論を出し(ちなみに私はハンスと同じ歳の頃「二元的概念は凡そ表裏一体」という結論を出した)、この冒険に導かれたその答えに大満足したハンスは颯爽とスキーで山を降り、セテムブリーニの部屋に立ち寄ったが、疲労と安堵感から眠りこけてしまい、天啓のことは真っ白に忘れてしまった! せっかく見出だした結論も、先生の貴重なアドバイスも、こんな調子で自分のものにできないまま、サナトリウム卒業の機会をも逃してしまうのだった。

〈大戦とオカルティズム〉
物語の終盤になって霊能力少女エリーが突如登場し、サナトリウムで降霊会が開かれるようになる。興味本位で参加したハンスは迂闊にも、死んだヨーアヒムの霊を招ぶことを提案してしまう。仄暗い部屋の一隅に現れたヨーアヒムの亡霊(軍人として活躍できなかった無念のせいか偽物の軍服を着ている)は生前と変わらぬ眼差しでハンスを凝視し、ハンスは感情を抑えきれず嗚咽する……。なんとも怪奇小説風な展開だが、この場面にはベル・エポック期のオカルトブームが反映されていてとても興味深い。実際に第一次世界大戦下に流行したロマンチックな写真やイラストの絵葉書にも霊的な図柄が少なからず見られ、兵士に味方するワルキューレ、恋人のそばに佇む足のない兵士、戦場に現れた家族の幻影など、一見オカルトまがいの非現実的な図像から、戦場に赴いた相手への無事と再会の願いを込めた愛情を見てとることができる(ヨーアヒムの亡霊登場シーンにも同様の愛を感じる)。

〈マンとワーグナー〉
トーマス・マンは、1933年に「リヒャルト・ワーグナーの苦悩と偉大」という講演を行なった。そこで「ワーグナーはドイツ魂の象徴ではなく、世界における偉大な芸術家の一人だ」と発言し、成立したばかりのヒトラー内閣とそれを支持する文化人たちから弾圧を受け、そのことがきっかけで祖国ドイツに帰れなくなってしまった。「第七章 楽音の泉」ではクラシックの名曲が数多く登場し、作者自身の音楽知識に基づくと思われる批評がハンスの口を借りて語られている。私は「ワグネリアンのマンのことだから、ワーグナーの曲も登場するはず!」と期待して読んだのだが、一切語られずに終わった……。あえて書かないという姿勢が、ワーグナーへの最高のリスペクトなのだと思った。

〈ダヴォスに死す〉
私の木版画に多大な影響を与えたドイツ表現主義の画家エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナーは、第一次世界大戦の兵役で受けた心の傷と、ナチスから「退廃芸術」の烙印を押された衝撃とによって精神的に追いつめられ、ダヴォスの自宅でピストル自殺を図って死んだ。……トーマス・マンが『魔の山』の創作ヒントを得た当時のサナトリウムは、結核以外にメンタルの静養にも利用されていた。現に、心を病んでいたキルヒナーとドイツの指揮者オットー・クレンペラーはダヴォスのサナトリウムで出会い、キルヒナーはピアノを弾くクレンペラーの肖像画を残している。煩い下界から逃れ、高山に集う文化人という情景にセテムブリーニとナフタを想起し、またダヴォスから望む峻険な雪山に、ピストル自殺を選んだキルヒナーとナフタの絶望の頂点を見る想いである。

引用はすべて『魔の山』(トーマス・マン作、関泰祐・望月市恵訳、岩波文庫、1988年の改訂版(上下巻)に拠る